言葉が紡ぐ「心の痛み」と、自分を慈しむ「しあわせ」への道

言葉が紡ぐ「心の痛み」と、自分を慈しむ「しあわせ」への道【しあわせ】 心のあり方・気づき

言葉が紡ぐ「心の痛み」と、自分を慈しむ「しあわせ」への道

こんにちは、一教です。

私たちは日々の生活の中で、たくさんの言葉を交わしていますよね。
メールやメッセージアプリ、SNS、そしてもちろん、直接の会話。
情報が溢れる現代だからこそ、言葉の持つ力を改めて感じる瞬間がありませんか?
時に温かく、時に鋭く、私たちの心に深く響く言葉たち。
今日は、私自身が今朝経験した出来事から、その言葉の重要性と、
心のあり方がいかに大切かについてお話ししたいと思います。
きっと共感していただける部分があるのではないでしょうか。

認識のズレが招く「心の痛み」

今朝、私は少し心が締め付けられるような経験をしました。
家族だと思っている大切な人たちと出かける予定があったので、詳細を確認しようと尋ねたんです。
ところが、相手の方は私と同じ認識をしておらず、「そちらはそちらで…」と、まるで突き放すような、少し辛辣な態度と言葉を受け取りました。
その瞬間、まるで私自身が蔑まれたかのような感覚に陥り、とても辛かったです。

後から冷静になって考えてみると、相手はそんなつもりはなく、私自身が勝手に自己完結して、そんな気持ちになっただけなのだと気づきました。

「なぜこんな言い方をするんだろう?」「私の認識が間違っていたの?」
頭の中で様々な思いが駆け巡り、心がざわつきました。
しかし、この出来事を通じて、改めて**「認識のずれ」**が、
言葉の重さや感じ方をいかに大きく変えてしまうかを痛感しました。
同じ言葉でも、受け取る側の状況や感情、そして相手への期待によって、
その意味合いが全く違って感じられる。
私たちは皆、無意識のうちに「独りよがり」な部分を持っているのかもしれません。
自分の感情や思い込み次第で、言葉の意味を都合よく解釈したり、逆に深く傷ついてしまったりする。そして、それが心だけでなく、体にも少しずつダメージとして蓄積されていく。この体験は、私にとって大きな学びとなりました。

お釈迦様の教えに学ぶ「苦しみの原因」

この「心の痛み」や「ダメージ」は、仏教の教えにも通じるものがあります。
お釈迦様が説かれた「四諦(したい)」という真理の中に、「集諦(じったい)」というものがあります。
これは、「苦しみには原因がある」という真理です。

では、その原因とは何でしょうか?お釈迦様は、その原因を私たちの**「煩悩(ぼんのう)」
特に「渇愛(かつあい)」**と説かれました。
「あれが欲しい」「こうありたい」という、尽きることのない「むさぼり」や「執着」のことです。
そして、物事の根本的な真理を知らない「無知」も、苦しみの原因とされます。

今回の私のケースで言えば、「家族と認識している人との楽しい外出」という「こうありたい」という思いや、相手も同じように思っているだろうという「執着」があったのかもしれません。
その期待が満たされなかった時に、心がざわつき、辛さを感じたのです。
私たちは日常生活の中で、たくさんの期待や執着を抱えて生きています。
それが満たされない時、心は苦しみを感じてしまうのですね。

「執着を滅する」こと、そして「ご自愛」

では、この苦しみの原因となる執着をなくすには、どうすれば良いのでしょうか?

お釈迦様は、四諦の次の真理として**「滅諦(めったい)」**を説かれています。
これは、「苦しみの原因を滅すれば、苦しみも滅する」という真理です。
煩悩や執着をなくすことで、涅槃(ねはん)という究極の平安な状態に至ることができると説きます。

「涅槃」とは、私たち凡人にはなかなかたどり着けない究極の境地です。
執着まみれの私(笑)にいきなりそこを目指すのは難しいかもしれません。
でも、お釈迦様の教えは決して私たちからかけ離れたものではありません。
この教えを日々の生活に落とし込んで実践することこそが大切なのだと私は感じています。

私にできること、そして皆さんと一緒に実践していきたいこと。
それは、「苦しみの原因を認識し、一つずつズレを修正していく」ことです。
今回の私自身の経験であれば、「相手と自分の認識にずれがあったのだ」と認識すること。
そして、そのずれから生まれた辛い感情に対して、
「相手も悪気はなかったのかもしれない」「私自身も、相手に期待しすぎていた部分があったかもしれない」と、相手と自分を許し、「愛らしいな」と愛でること

そして何よりも大切なのは、「ご自愛」です。

ご自愛とは、自分を大切にし、愛すること。
その逆は、自己否定、自己嫌悪、自己犠牲です。
自分を責めたり、嫌いになったり、あるいは自分の気持ちを後回しにして犠牲にしてばかりいたら、心と体はどんどん疲弊してしまいます。
それは、脳科学の視点から見ても明らかです。以前のブログでもお話ししたように、脳は主語を区別できません。
誰かの悪口を言っている時でさえ、自分の脳内でストレス反応が起きるように、自分を否定する言葉は巡り巡って自分の心身を傷つけてしまうのです。

だからこそ、とことん自分を愛する。
自分を慈しみ、いたわる。
自分の心と身体の声に耳を傾け、無理をしない。
これは、単なるわがままではありません。
自分を満たすことで、周りの人にも優しくなれる。
心にゆとりが生まれ、愛が循環していく。
それが、私たち自身の「しあわせ」に繋がり、
ひいては周りの人たちの「しあわせ」にも繋がっていくのです。

今朝の出来事は、私にとって、改めて**「とことん自分を愛そう」**と思わせてくれた経験でした。
皆さんにも、心穏やかな「しあわせ」な日々が訪れますように。

そして、もし心と身体のバランスに悩んだら、いつでも私に声をかけてくださいね。

言葉が紡ぐ「心の痛み」と、自分を慈しむ「しあわせ」への道【しあわせ】

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